書禅一如

寺古屋書道塾

 

櫛谷宗則師坐禅法話会のご報告

2025年 4月27日(日)開催

◇ 午前の部 10時~12時
◇ 午後の部 14時~16時
場所 サンレイクかすや 和室1


坐禅会1

ここに泉あり

幸せは いま草取りしている いま歩いている いま本を読んでいるなかに   そっと生きることを包み 生きること自身となって 呼吸のように支えている 小さな生きることすべてとなって これといって取り上げられるものもない   そのなんともない―あたたかさ なんともないいとおしさ 幼い頃とおんなじ 今日のひかりのように   櫛谷宗則

 精一杯頑張って生きているのに
どうしてこんなことが私に起こるのか、
私に取って人生は
理不尽なことに満ちています。

しかし、櫛谷老師は
私たちは願って生まれてきた
わけではないのだから
生れたこと自体が
理不尽なことなのだ
と説かれます。

坐禅会2

私が私として生まれたことが
理不尽なことならば、
その上に起こる様々な人生の出来事が
理不尽であって不思議ではない
と受け止めれば
少し人生の困難にも
大らかでいられそうな気がしました。

ご参加いただいた方の感想

頭の中だけで生きないように
心掛けていますが、
無意識のうちに片寄って
しまっているんだろうなと
気付かされました。
この世に生を受け生きていることこそ理不尽
という言葉にハッとしました。
久しぶりの坐禅、
気持ちよかったです。

「いとやすきみちあり」
( 仏となるにいとやすきみちあり
正法眼蔵 生死巻)
という最後のお話が
心に残りました。
日々のくらしに慣れてしまい、
厭う心、願う心に迷うのではなく、
その心を手放していく生き方があると
気づかせていただきました。
貴重なお話ありがとうございました。

「戒」とはただ受動的に
決められたことを
守ることではなく、
積極的に自分自身の
生き方を生きること、
日々刻々と
己を全力で投げ入れて、
忘じて生きること。
坐禅に親しむことは
死と親しむこと。
お話ありがとうございました。

今回も、
たくさんの方にご参加いただき、
また、貴重なご意見、
ご感想もお寄せいただき、
誠に有り難うございました。

  

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